大海を渡る御朱印船(「茶屋船交趾渡航貿易絵巻」より)
フロンティア・スピリット-未来を切り開く開拓精神

 東京福祉大学グループの校章には、大海を行く「御朱印船」がデザインされています。東京福祉大学の学校法人名にも取り上げられている茶屋四郎次郎は、本学園の創立者の先祖で、約400年前の江戸時代初期、まだ海外への渡航が命がけであった時代に、この「御朱印船」で荒波を乗り越え、遠くの安南(今のベトナム)にまで渡航し、海外貿易に従事し、徳川家康の幕府の成立に協力しました。


 また、「本能寺の変」のとき、明智光秀に命を狙われた徳川家康を助けるため、四郎次郎は家康が襲われずに領地の岡崎に戻れるように小判をまいて護衛をし、家康の「伊賀越え」を助けました。この時、茶屋四郎次郎が徳川家康の命を助けなかったら江戸時代はなく、現在の日本も存在していなかったともされています。命がけで未知の世界に飛び込み、わが国の発展のために尽くした冒険者の精神、国際的な広い視野、人のために尽くそうとする心。こうした精神は、時代が変わった現在でも生きているものだと私たちは考えます。社会変動の激しい21世紀に活躍できる、柔軟で合理的な思考、国際的な広い視野、未知の問題に取り組む思考力・創造力とチャレンジ精神、国民のために尽くそうとする心を持った人材を育成したい。東京福祉大学の学校法人名、そして校章にデザインされた「御朱印船」には、そういう東京福祉大学グループの願いが込められているのです。

丸の内の校舎は徳川家康に仕えた豪商茶屋家屋敷跡

尾州(名古屋)の茶屋新四郎長吉は、尾張徳川家に仕え、さまざまな事業に携わりました。御朱印船貿易も手掛けていましたが、鎖国後、海外貿易ができなくなってからは新田開発を行いました。名古屋市港区には茶屋新田・後新田という地名が今日まで残っています。名古屋城近く、丸の内の尾州茶屋家屋敷跡に、現在、保育・介護・ビジネス名古屋専門学校の校舎があり、名古屋市教育委員会による茶屋新四郎宅跡に関する立札も立っています。
茶屋新六郎が朱印船船長として長崎を出航し、インドシナ半島の交趾国(ベトナム南部)の港町に着き、ベトナムの国王に貢物を献上する様子を描く。朱印船貿易時代の日本人の海外交易活動状況を知る上での大変貴重な資料。本絵巻は尾州茶屋初代長意が慶安年間に建立した情妙寺に茶屋家より納められた。日本史の教科書にも載っています。