教員研修会の実施について 

4月14日(木)に私の著書『二十一世紀の大学教育改革』を使用した研修会を実施いたしました。下記の通りご報告するとともに、教職員の感想を掲載いたしますのでご覧ください。
今後とも、本学の教育活動へのご理解・ご支援をよろしくお願いいたします。

以上
令和4年4月19日
学校法人茶屋四郎次郎記念学園
東京福祉大学・大学院
総長・学長
教育学博士 中島恒雄
前ハーバード大学教育学大学院招聘学者

教員による感想文 


保育児童学部 教授
応用言語学修士 井草 玲子 


 今回から総長先生のお書きになった上記の本を拝読し、レポートを書く課題を執筆することになった。内容の濃いご本であるため、今回は、上記3点を中心に述べていきたい。

 まず、第1に、高等教育を受ける目的として、3点が挙げられている。①大学に入学した目的(過去)②何のために学んでいるのか(現在) ③卒業後学んだ知識をいかに活用するのか(未来)。以上3点を教員は学生に教えなくてはならないと、記されていた。実際、高等教育で学びを続けるには、この3点を意識して学び研究していかないと、学習と研究の継続は難しいと、私自身も経験している。教員として、今後も意識して学生を指導していきたい。

 第2に、教育の定義であるが、本書では、実用的、すなわち①実社会で役に立ち、さらに②「自分や他人を幸せにするために役立つこと」と定義されていた。私たちは通常、実用的(Practical)と聞くと1つ目の定義で理解するが、2つ目の定義、すなわち、自他共に幸福になることは大切であると、今回思わされた。

 第3に、事例研究(case study)に関することであるが、教育の場で実施し、卒業前の共通試験では、ある事例を提示し、学生に答えてもらい、その学生の読解力・文章力・問題解決のために分析力と思考力を確認(評価)するという記述があった。現在私は、大学2,3年生対象に英語の教員養成の指導を行っている。日本の英語教育は、2020年から2024年まで目まぐるしく変化し、教員学生とも新しい動きに柔軟に対応することが求められている。学生は、基礎基本(教授法・教育技術・語学力・英語学・関連領域の学問等)をしっかり学び理解し、模擬授業や教育実習で体験し、近い将来教育現場で個々の学習者の様々なニーズに柔軟に対応し、児童生徒学生の英語力向上と人間としてのさらなる成長のために教員として貢献するためにも、事例研究法は、今後一層役に立つと思われる。今後日々の授業の中で、いかに活かすことができるか、この本をさらによく読み、研究し実践していきたいと思う。



心理学部 講師
修士(社会福祉学) 谷口恵子

 本日は、件名の著書の「はじめに」から第一章の途中までを黙読した。日本の教育の課題が、社会全体の課題につながっていることがとてもよく理解できる内容だった。以下、特に学びとなった事柄である。

 まず、とても大切なことだと共感を覚えた部分が「大学の教員が、自分の学生にまず教えなければいけないこと。それは『学生は何のために勉強するのか』ということです。」(p1)の部分である。この文章を読んで、自分の小学5年生の娘が、分数の掛け算や割り算、また複雑な図形の面積などを求める算数の分野の勉強になったときに「こんなこと勉強したってどこで使えるの?意味ないじゃん!」と言ったことを思い出した。確かに、小学生レベルの算数であっても、なぜそれが必要なのか、という説明がきちんとできないと、学ぶ側は学ぶ意欲を失ってしまう。私の娘は、率直に先生に質問をしたようだが、とっさのことだったのか、先生からは満足の得られる回答を得ることができず、娘は今でも「なぜ勉強しなくちゃいけないのか」と思い続け、勉強が大嫌いになってしまった。教育者として、自分が教えていることが、学ぶ者にとってどう役に立つのか、いかに大切なことなのか、ここを伝えることなくして、学ぶおもしろさは伝わらないだろうということ、大変納得した。自分の授業を振り返り、この授業がどのように大切なのかということをきちんと伝えていなかったことを反省した。

 2点目に挙げたいのは、「平社員でも、自分はこうした方がいいと思うとか、自分の意見を職場でもっと出せるようにした方が良いでしょう。上から言われたことを、何でもはいはいと言ってロボットのように働く時代は終わったのです。」(p18)という部分である。私は福祉大学に長く務めさせて頂いており、多くの刺激を頂いている。と同時に、福祉大学が自由に物事を発言できるところとは感じていないのが正直なところである。いつの間にか物事が決まっていて、「この方針でいきます」ということを言われることが非常に多いと感じている。それは、ある意味、その指示に従っていればよいので楽と言えば楽なのであるが、「『こうしたらいいのではないか』『ああしたらいいのではないか』というようにいろいろ新たに考え、組織内の人々に緊張と刺激を与え続けていなければ・・・(中略)・・・皆が現状に満足しきって、努力をしないようになってしまう・・・」(p18)との記載のように、現状に満足しきってしまっているのだろうかと、この部分について今の自分の状況を顧みて胸につきささるような感覚を覚えた。この部分の引っ掛かりが、研修を受けることで今後何らかのヒントをみつけることができたらよいと願いながら、学んだいきたいと思う。


社会福祉学部 助教
博士(経営学) 曹 勁

 本日、中島総長先生のご著書『二十一世紀の大学教育改革[改訂版]創立者が語る東京福祉大学・大学院の挑戦』のまえがきおよび第Ⅰ章第1節を拝読し、本学の教育理念と教育方針に対する理解がさらに深まりました。

 総長先生の「時代の流れに合致した学生(お客様)のニーズを満たさせる効果的で良い授業をすることが大学の使命である」という革新な教育理念に敬服しております。従来の大学教育では、本の棒読みのような一方的に授業をする従来の教授法は、授業で習得した知識を仕事でどのようにうまく実践するのかについて学生さんに教えないことから、思考力と問題解決力を身につけることができない懸念があります。それに対して、総長先生の教育方法は、「自分はなぜここで何のために学んでいるのか」、「卒業後に学んだ知識をどう活用するのか」などを学生によく考えさせ、理解させて、学生と積極的にコミュニケーションを取ることで、講義に対する好奇心や自発性を引き出すとともに、学生が講義内容から社会で働く自らの姿のイメージできることを心掛けていることができるようになります。

 私は大学教員として、学生が知的探究心を持ち、自主的に学び、そして学問の楽しさを実感できるようにサポートすることを目指します。学問に向き合う上では、常に広い視野を持ち、学ぶだけではなく、自ら探索する姿勢も重要だと考えます。中国論語の「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という名言が示しているように、大学での学びは学生が興味を持って楽しめる状況が最も望ましいと考えられます。また、孔子の「三人行えば必ず我が師あり」という教えの通り、教員も学生から新たな観点をもらい、一緒に精進することができると思います。私の教育経験がまだ浅いですが、今後の学生指導においては、独創性と多様性を重視し、国際的な視点および社会課題への関心を高めることに力を注ぎ、アクティブ・ラーニング授業に取り組んでいきたいと思います。


留学生教育センター 特任講師
修士(文学) 山脇 敬子

 なぜ21世紀の新しい大学教育を行う大学を創設したのか、それは、日本の従来の教育制度では、これからの時代は日本の国を繁栄させていけないからである。日本の大学の教育の欠点や陥穽を見たとき、学ぶべき教育の方法がアメリカには存在する。それを中島総長先生は、ハーバード大学へ留学されたときに学ばれ、その教育方法を取り入れて日本でこの大学を創設されたのである。

 日本的な教育では、暗記することが重要とされ、創造的な能力が育ちにくい。教師の指導にしたがって、教育内容を覚え、その通りを答えとすることがよしとされる。このような教育では、自分で考え、多様な答えを見つけることはできない。そのため、国際的な仕事をするには、語学力が十分でないところに、身につけた知識が実際の仕事の場で生かすことができない。語学だけでなく、国際的な成長産業では後塵を拝している。これまでの日本的教育では太刀打ちできない状況である。つまり、東京福祉大学が行ってきた中島総長先生のすすめる教育、「社会の役に立ち、自分や他人を幸せにする実用的な教育でなくてはならない」、という理念が必要とされるようになってきたのである。

 その総長先生の教育の背景は、名古屋の家庭環境である。総長先生のお母様は、京都の銀行の頭取の娘様であり、東京の女子大学、専攻科(現在の大学院)を卒業され、当時の女性としては進んだ職業である某女子大の家政科の大学教員をされていた。この時代に高等教育を受けるなど、家庭が裕福でなければならず、かつ優秀な人間でなければできないはずである。私は、修士論文で女性の社会的地位の低さや権利を訴えた福田英子をとりあげた。私が大学を出たときも大学の研究者に女性は少なかった。家制度の意識が残る時代に女性の多くは家庭に入り、子どもを育てそれが女性の幸せとされてきた。戦前戦後の時期に高等教育を受けるのは、男性でも進学率が低いなかで資産家の家庭の恵まれた人であり、かつ社会で活躍することができる人はほんのわずかであった。環境にめぐまれ、本人の意識が高く努力された方であろう。岸田俊子(中島湘煙)、津田梅子などと並ぶ高い意識をもち、苦労しながら女性教育に取り組んだ人であると思う。これら先駆者から学ぶことは、教育を受ける意義を考える中で非常に価値あることである。総長先生は、このご家庭で育てられた後継者であるから、ハーバード大学で学び大学を創設するという偉業ができたと感じるのである。優れた先人の教育理念を学び、学生の教育に活かしていきたいと思う。



留学生教育センター 特任講師
修士(教育学) 橋本 琢

 令和4年4月14日の教職員研修会では、『二十一世紀の大学教育改革』(ミネルヴァ書房)の「まえがき」及び、「第一章」半ばまでを扱った。

 「少子化の影響で定員割れになる大学が珍しく」ないという日本の大学事情を確認するところから本書は始まる。こうした状況を前に、我々大学関係者はどのように対処してゆくべきかということが、以後、述べられることになる。

 本書ではまず、従来の日本式近代教育を批判する。従来の日本式近代教育とは、「基礎知識を持たせて、平均的なサラリーマンを作りあげるための」教育のことだ。ではなぜ、この教育が批判されるのか。それは「二十一世紀に入った今はすでに、これまでとは世界の方向性が変わってきて」「コンピュータやインターネットを使い、一人ひとりの個性や知性、能力が重視される時代」だからだ。こうした時代状況において、従来の日本式教育は機能不全に陥ってしまっているのだ。

 では、どのような教育が求められるのか。こと大学において、それは「実社会の役に立ち、自分や他人を幸せにするために役立つ、実用的な」教育である。具体的には、大学生にはまず「資格取得という目標」を、次に「その資格と技術とを活かして」「就職する」という目標をもたせる。そして目標達成のため日々積み重ねられた努力を通じ、「教育を受けることによって、自分自身が変わることができ、今までにない自分を発見」させるのだ。

 ただ、果たしてそのような教育は可能なのか。本書ではその解答も周到に準備されている。それは教員から学生への「一方通行の授業」ではなく、「対話型・双方向型の授業」実践を通じて達成されるという。実践を通じて、「学生が自ら考え、問題を発見し、意見を発表し、ディスカッションを通じて他の人の異なった意見を聞いたり、それを取り入れていける」二十一世紀型の能力が涵養されるからだ。

 これからの大学教員は、学生のこうした能力の育成に専心しなければならない。なぜならばこの能力を習得した人材は、「卒業してすぐに役立ち、よい就職、高い収入」が得られるからだ。そして、こうした人材が多数輩出できる大学こそが、「「教育力」の高い、真に良い教育を提供できる大学」として「生き残る」ことができるのだ。

 教育者であり経営者でもある総長先生の「生き残ったものが正しい」という言葉には、ご自身の経験からくる厳しさと自負が強烈に象徴されているように思える。


以 上